「神の手」よりも、
「スタンダードの医療」を。
今朝、たまたま聴いたNHKの番組の中で、同志社大学の村田晃嗣学長が「グローバルとローカル」という言葉を使っていたんですね。グローバルとは、今までですとインターナショナルという国と国の意味あいが強かったのですが、本来は、経済や思想などもっと深く幅広い意味で「どこででも通用する」ということ。医療においても、これは非常に大事なことです。残念ながら日本の医療は、いまだ専門領域での「神の手」になることを目指す教育、言わばローカルの医療思想が主流であるように思います。私が学んだチューレン大学の先人で、マイケル・ドベイキーという世界の循環器外科・血管外科の技法を構築した人がいるのですが、彼が88歳の誕生日のお祝いの席でこんな話しをされました。「自分が一生で診た患者さんは高々33,000人くらい。いかに神の手と自分が呼ばれようと、たった33,000人しか直接治すことはできていない。一方で、自分が創りあげてきた血管外科の技法でどれだけの人が救われたか?こちらの方が大切なことだ」。この言葉の中に本質があると思います。それぞれが専門の中で神の手を目指すのではなく、「スタンダードの医療」をもってより多くの人を助ける、グローバルな医療思想こそが今の日本の医療には必要なのではないでしょうか。
アメリカと日本の医療の、最大の違いとは?
この「スタンダードの医療」こそが、日米の医療の大きな違いです。アメリカの医学教育では、そのための訓練を幼稚園からやっています。医療というのは人を相手にする仕事であり、単にモノとして扱ってはいけない。ですから自分を表現し、人とコミュニケーションをとる力を、そして大学では「リベラルアーツ」、いわば考える力や教養を培っていくわけです。それが一番大事なことであり、そういう課程をずっと通してきて、初めて医学校に行きプロの医者としての道を進んでいきます。プロの医者とは「患者を診る医者」。つまり、講義による知識習得だけでなく、どんどん患者を持たせて臨床を中心とした医学訓練が学生の時から行われます。卒業後の訓練は「レジデント制度(専門医制度)」と呼ばれますが、その課程では最初の1〜2年を、目指す専門領域に限らずすべての外科系レジデントがいっしょになり外科の基礎訓練を行います。専門が異なる者同士がひとつになって患者を診るわけですから、その後、各々の専門領域に進んでもコミュニケーションがとりやすい。ひとりの患者さんを中心に、外科系の問題を広くカバーできる、いわばチーム医療がすでに培われているわけですね。この幅の広さ、知識の共有が日本にはまだ足りないのではないでしょうか。
腹腔鏡とレーザーによる治療研究のために自作した、数々の医療器具と、その研究実績を賞賛する当時の記事。今でこそ当たり前のように使われている医療器具も、その当時はまだ見ぬ存在。まさに、試行錯誤とアイデアが詰まった、創意工夫の産物だ。
アメリカの医学訓練へと
飛び込むきっかけとなったもの。
アメリカに行くはるか前、東大医学部の冲中重雄内科教授は最終講義で、こういうことを言われました。「書かれた医学は過去の医学であり、目前に悩む患者の中に明日の医学の教科書の中身がある」。当時、私は部活でボートを漕いでおり合宿所にいたため、直接講義を聴くことは叶わなかったのですが、この言葉にたいへん感銘を受けました。患者さんをきちんと診察する、そして何が必要かを考えることで新しい医療が見つかる…これが大事なんですね。ちょうどその頃、インターン闘争が起きまして…。東大紛争ですね。安田講堂に機動隊が入るまでかなり厳しい3年間を過ごす中で、私たち学生もみんなで医学教育の在り方を模索していました。大学を出た後、医者として自分をどうトレーニングしていけばいいのか?と。そんな中、アメリカの教育を熟知した2人の恩師との出会いがあり「神の手になるよりも、アメリカに行って外科の訓練を受けたい」…とアメリカに渡ったわけです。そのままあっという間に38年が過ぎてしまいました(笑)。レジデント研修時代は、週に120時間、それこそ病院に籠もりきりで働いていましたね。レジデント終了時には、外科医として網羅しておくべき領域や手術はすべて経験し、習得することができました。
専門医を目指すドクターの皆さんへ。
新しい医療を社会に届けるために。
どうやったら患者さんに新しい医療を提供できるか?という思いから、アメリカ時代、レーザーの研究をしていました。その講習会がミネソタ州であり、腹腔鏡とレーザーを使って胆嚢摘出をやってみないか?という話しがたまたま出まして。その時出会ったハンガリーから来た先生とチームを組んで、子豚を使って研究を始めたんです。その頃はまだ適当な機械も無いものですから、クリップなど一部自作しながらの研究でしたね。その研究が、知り合いの北海道大学の教授の耳に入り、札幌での日本外科学会で発表してみては?というお話しになりまして。当時、日本ではまだ腹腔鏡下の手術は知られていませんでしたので、日本初の腹腔鏡の論文発表に、学会の座長をされた先生もずいぶん苦労されたのではないでしょうか(笑)。腹腔鏡はきちんとやれば非常にいい手術ですが、どうしても腹腔鏡の症例を増やしたいから…とムリをすると、出血したり臓器を傷つけたり、合併症につながる可能性もあります。患者さんのためにやるわけで、外科医のためにやるものではないのですから、いいところはあるけれどそれに固執してはいけない。そういった、外科医の正常な発想法といいますか、倫理性といったものを大切にしていかなければなりませんね。
Dr. 北濱 昭夫
Dr. Akio Kitahama
1966年東京大学医学部卒業。国立がんセンター外科を経て1972年渡米。ルイジアナ州チューレン大学でレジデント終了後、同大学外科・生理学教室勤務。現在、チューレン大学医学部臨床外科教授、獨協医科大学医学部特任教授
Dr. 北濱 昭夫のWhytlinkプロフィール
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