心臓血管外科医を目指したのは
二度と悔しい思いをしたくないから
外科医を目指すきっかけになったのは、ブラジルでの体験です。医学部6年生の夏休み、ブラジル・コロンビア・グアテマラ・メキシコの4か国を回り、医療状況や医療教育を体験する約2か月間の研修に参加したんです。ブラジル海軍の病院船に同乗して、アマゾン川流域で行われている医療サービスをサポートしたり、グアテマラでは現地のNGOの協力を得て健康教育や寄生虫予防などの活動に参加したりしました。中でも印象に残っているのは、ブラジルの救急救命センターでの体験です。1晩で、10人近くの人が銃で撃たれて搬送されてくるんです。現地の医師と一緒に手術室に入り、散弾銃の弾が摘出されるようすを見ながら、外科医の役割の大きさを実感しました。
卒業後は、慶應大学病院の消化器外科、心臓外科、脳外科などで1年間研修を積んでから、栃木県の救急病院で研修を行いました。夜間は外科医が自分だけなので、1人で対処しなければいけません。あるとき、自分で胸を刺し大量出血している患者さんが搬送されてきたんです。しかし、開胸手術ができる医師がいないため、患者さんの命を救うことはできませんでした…。もし自分が開胸手術をできれば、悔しい思いをしなくて済んだかもしれない。「心臓外科医を目指そう」という気持ちが固まっていきました。
「手術のシャワー」を浴びることで
つかんだもの
医師4年目から慶應病院の心臓外科で働きましたが、手術を担当できる回数は限られていて、「スキルを磨くには海外で経験を積むしかない」と考えていました。ある学会で発表をしたとき、私の発表をベルギーの医師が評価してくれたんですね。すかさず「そちらの病院で研修させてください」とお願いしたら、「OK」という返事をもらいました。ところが、それから2年ほど何の連絡もなくて。それでも、英語で書いた論文が雑誌に掲載されたことをemailで伝えたんです。そうしたら、すぐに「来ていいよ」という連絡が来ました。ようやく一人前の医師として認められ、実際にベルギーでClinical Fellowとして働くことになりました。しかし日本の心臓外科で身につけた知識や技術は、彼らが要求するレベルには達していませんでした。また、英語の壁もあって辛かったですね。それでも真面目に取り組んでいるうちに、だんだん認めてくれるようになりました。
その後イタリアでもClinical Fellowの経験を積んでから、今度はタイに渡りました。毎日2回ほど心臓の手術に入って、まさに「手術のシャワー」を浴びるような感じでした。あるとき、「自分はもう大丈夫だ!」と思える瞬間があったんです。特に、縫合に関して。そのときは、まだ心臓を縫うことはありませんでしたが、その後心臓を縫合するようになったとき、いろんなバリエーションの縫い方ができたし、思った場所を正確に縫うことができました。ベルギーとイタリアでは心臓手術の件数は少なかったのですが、その経験があったから、タイで心臓の手術を任されたときにスムーズにできた。すべての経験がつながっていると感じます。
小切開心臓手術(MICS)に
チャレンジしてきた理由とは?
日本に戻ってからは、心臓血管外科医として毎年120例ほど執刀しています。そのうち切開の大きさを最小限に抑える「小切開心臓手術」が40~50例で、特に僧帽弁の手術では約8割を小切開術で行っています。おそらく、小切開心臓手術の件数は国内でベスト3に入っていると思います。
小切開心臓手術のメリットは、手術創が小さくなるという美容的な面だけでなく、早期退院と医療費削減にもつながります。一方で、術野が狭いため内視鏡を使う必要がありますし、心臓までの距離が遠いために指が届きません。このため、絶対に出血をさせない手順で、正確かつ慎重に手術を進める必要があります。それでも小切開術にチャレンジしてきたのは、第1に患者さんのためになるからです。同時に、一生の仕事として、あえて難しいことにチャレンジしたいという気持ちもありました。もちろんこうしたチャレンジが可能だったのは、心臓血管外科医だけでなく、麻酔科医、看護師、臨床工学技士などが協力して、チームとして機能しているからです。
日本では、僧帽弁の手術のうち小切開術の割合は15%程度です。一方ドイツでは40%程です。近い将来、日本でも30%ぐらいに増えると思います。そのとき安全に小切開術ができるよう、今後、できる限りの貢献をしてきたいと考えています。
決まったレールを歩いていたら、
それ以上のレベルに到達できない。
私が歩んで来た道はかなり特殊なので、真似をすることは難しいと思います。ただ、決まったレールを歩いていたら、それ以上のレベルに到達できないのは事実です。大切なのは、人がやらないことや、自分しかできないことを追い求めていくことだと思います。
同時に5年後、10年後に最低ここまでは到達するという、長期的な目標をもつことも重要です。ただ、「数をたくさんこなせば実力がつく」というのは勘違いです。たとえば外国で留学を続けても、上の先生が集めてきてくれた症例をやらせてもらうだけ。それでは、一生レジデントのままです。日本で心臓血管外科医になろうと思ったら、日本で勝負して、内科の先生から信頼されて患者さんを送ってもらえる医師になる必要がある。そのためにはチームをもって、自分の責任で手術をする。プレッシャーの中で経験を重ねることが不可欠です。
自分の次の目標は、50歳になるまでに日本を代表する10人の心臓血管外科医の1人になることです。心臓血管外科医は患者さんの命を預かるしんどい仕事です。でも、自分なりに「患者さんを救える」という自信がついたら、面白い仕事に変わると思うんです。なんと言っても一生続ける仕事なので、これからも、自分が面白いと思える状態を目指して進んでいきたいですね。
Dr. 岡本 一真
Dr. Kazuma Okamoto
1999年慶應義塾大学医学部卒業。同年、慶應義塾大学病院、外科研修医。2002年慶應義塾大学病院、心臓血管外科専修医。2004年国立成育医療センター研究所、生殖医療研究部研究員。06年慶應義塾大学病院、心臓血管外科専修医。07年OLV Clinic,Belgium,Cardiovascular and Thoracic Surgery,Clinical Fellow。08年IRCCS Policlinico San Donato,Cardiochirurgia,Italy,Clinical Fellow。10年Maharaj Hospital,Chiang Mai University,Thailand,Clinical fellow。同年10月から外科学教室助教。2012年から慶應義塾大学外科学講師。2016年11月に明石医療センター・心臓血管低侵襲治療センター長就任。
Dr. 岡本 一真のWhytlinkプロフィール
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