世界の平和と教育と文化に貢献するために
医学教育を極めていこう!
医学部時代、解剖実習にティーチングアシスタント制度がありました。これを利用して後輩に教えまくっているうちにわかってきたのは、実習が大切な理由を自分の経験を踏まえて理由を説明すると、その学生のモチベーションがアップするということです。教育にはすごい力があるとわかって、興味をもつようになりました。あるとき、学生教育に熱心なある医学部の先生に、「なぜ、そんなに教育に熱心なんですか?」と質問したことがあります。その時のお返事、「教育は仲間づくりになるから」が強く印象に残っています。
医学部時代イギリスに短期留学したことも、教育への興味がさらに深まる転機になりました。ベッドサイドの実践的な教育に衝撃を受け、日本の医学教育ももっと良い方向に改善できるのではと学生ながらに感じました。帰国してから、学内で医学部学生自治会長に立候補し、その中で医学教育小委員会を立ち上げ『学生による医学教育改革案』を作成し、教務委員会に提出するなどの行動に移したりもしました。
留学中に出会った患者さんの言葉も印象に残っています。「所見をとっていいですか?」と確認すると、「問題ないわよ。私たちから勉強しなければ、医者になれないでしょ」と笑顔で言われたんです。ごく普通の患者さんに、医学生を育てる意識があると知りました。現地の医学生と話をしていても、「自分が◯◯をすれば社会のためになる」という話がよく出ていました。こうした経験を重ねるうち、この国の人たちは個ではなくて、社会の中で生きているのではないかと思うようになったんです。自分のふるまいが、社会に影響を与えていることを自覚している感じです。私には、医学部時代から「世界の平和と文化と教育に貢献する」という大目標がありました。イギリスでの体験を通して、自分の居場所からでも貢献できることがわかりました。大目標の実現に向けて、自分は臨床医としての技術を高めることに加えて、まずは医療者の教育として医学教育を極めていけばいいんだと腑に落ちる体験でした。
順風満帆でないことにも意味がある
医師になろうと思ったのは、6歳のときに野口英世の伝記とブラックジャックを読んだのがきっかけです。その後、中学生のときに養老孟司の『唯脳論』に衝撃を受けたこともあって脳に興味を持ち、臨床では脳外科医になることを夢見てきました。ところがマッチングに失敗したため、もともと希望していた病院ではないところで初期研修先を探さなければならず、たまたま見つけた病院には、なんと脳外科がなかったんです。とにかく研修先を決めるのに必死で、ちゃんと調べる余裕さえなかったのかもしれません。
なんとか気持ちを切り換えて、内科の勉強に集中しました。院外の勉強会にも積極的に参加するうち、感染症内科の青木眞先生の公開レクチャーに出席したんです。ほんとうに素晴らしい講義で、何度も体内に電流が走りました。実践的でかつ本質的、しかも感性が揺さぶられる内容。「医学の道に進んでよかった!」と心から思いました。同時に、青木先生のような内科医になりたいと強く思いました。その後は、青木先生の指導を吸収したい一心で、先生のレクチャーにできる限り参加したんです。すべてを学び、日常の診療に反映させようと自分なりに必死でした。アンマッチがなければ脳外科医の道を進み、青木先生という唯一無二の師との出会いもなかったかもしれない。順風満帆でないことにも意味があるんだと感じました。
実は、医学部に入るために3浪しているんです。その頃、偶然出会ったナンパ師から「医者を目指すならナンパを経験した方がいい」と、訳のわからないことを言われて(笑)。実際に彼らの行動を観察してみてわかったのは、女性の持ち物や歩き方で成功確率が予測できるということです。今から考えると、身体観察の大切さを教えていたんですね(笑)。ほかにも、その気がない相手とラポールを形成するには、逃げないことが大切だと教わりました。逃げずに相手と向きあい、相手がどう思っているかに全神経を集中する。それは、新しい患者さんと向き合うときも同じだと思うんです。生身の人間とのコミュニケーションを医師になる前に体験できたのも、3浪という貴重な経験があったからかもしれません。
診断の質を向上させるには
実践的な型と映像化が不可欠
『リベリオン』というSFアクション映画を見たことがあります。主人公は「ガン=カタ」と呼ばれる戦闘術のマスター。「ガン=カタ」は、拳銃(ガン)と武道の型(カタ)を合体したもので、その目的は、敵の動きや、敵の拳銃から発射された弾丸の弾道を予測して、最小限の動きで勝つことです。合理的な「型」があるから圧倒的な成果を出せる。これこそ、私が『診断戦略』(医学書院)で伝えたかったメッセージに近いかもしれません。
診断において実践的な型をもっている医師は、絨毯爆撃的に検査や治療をするのではなくて、筋道を立てて考え結果を出せる。そのため、どんなに厳しい状況でも戦えます。この観点を失うと『診断戦略』は、「当たり前のことが書いてあるだけ」「現場と乖離した後づけの理論」などと短絡的な見方をされてしまうかもしれません。しかし、その当たり前の思考プロセスを言語化したから「型」として使えるのだし、診断の精度も上げられます。そして、自分や自分の弟子たちがこの診断戦略を根本に据えた診断の実践で確実に成果を上げていることを、まさに今日も経験しています。
ただ、いくらよい「型」があっても、病歴の把握や基本的な身体診察が不十分では正確な診断はできません。特に病歴の把握は重要です。発病までの状況を映像化できるぐらいまで情報を集める必要があります。そのためには人間関係を築くだけでなく、話をしようと思える雰囲気をつくらなければなりません。日本は超高齢化社会を迎え、若い医師にとっては、患者さんのほとんどが人生の先輩です。そういう患者さんたちの人生に敬意を払い、どれだけ関心を向けられるかが医療のクオリティーを左右すると思います。とても大変なことですが、AIでは代替できない、人間にしかできない仕事だと思います。
診断力を高め
患者さんにこれまで以上の貢献をする
ある事情で、米国から日本に戻ることになりました。そのとき非常にタイムリーなタイミングで、獨協医科大学病院で総合診療科を立ち上げるというご依頼を受けました。獨協医科大学の熱意と、医師12年目の若造に病院の根幹を握る大切な部門を任せてくださる度量の大きさに感激しました。
獨協総診は、複数の健康問題を抱える患者さんや、原因不明の病態に悩む患者さんの力になることを目指しています。さらに今後は、患者さんのために、地域の様々な規模の医療サービスが連携する「栃木スパイダーネットプロジェクト」を進めていく予定です。もう一つの役割は、院内の総合診療の教育センターとして学生、初期・後期研修医、スタッフのそれぞれに対応した教育プログラムをつくることです。個人的に、日本の総合診療の課題は、スタッフの育成だと思っています。総合診療と言うと、学生や研修医の教育に目が向いてしまいがちです。しかし我々スタッフも成長していかないと、学生や研修医の大きな壁になることができない。結果として、学生や研修医の成長も加速していかないのです。
獨協総診が誕生して半年がたちました。獨協総診はスタートから各課の先生方のサポートもあり、順調な滑り出しでした。総診部門が発展する一つの要因は、それぞれの職場にあった専門性を明確に打ち出すということです。大学病院におけるその一つが「診断」ではないかと考えていて、獨協総診はそのことを明確に示すために、英語名称は“Diagnostic and Generalist Medicine”に決まりました。他の科で診断に迷う患者さんがいたとき、総診が診断についての角度から一緒に取り組む。それが有益だと実感してもらったとき、総診は院内で専門科として信頼を得る一つの立場を確立し、結果として、患者さんにこれまで以上の貢献ができると考えています。
Dr. 志水 太郎
Dr. Taro Shimizu
2005年 愛媛大学医学部卒業、2007年 江東病院初期研修、2009年 市立堺病院後期研修・内科チーフレジデント、2011年 アメリカ・エモリー大学ロリンス公衆衛生大学院・公衆衛生学修士、カザフスタン共和国ナザルバイエフ大学客員教授、2012年 オーストラリア・ボンド大学経営大学院経営学修士、練馬光が丘病院総合内科ホスピタリストディビジョンチーフ、2013年 アメリカ・ハワイ大学内科、2014年 東京城東病院総合内科チーフ、2016年獨協医科大学総合診療科診療部長・総合診療教育センターセンター長。
Dr. 志水 太郎のWhytlinkプロフィール
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