2017.03.03 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 田中 美千裕

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 田中 美千裕

Dr. Michihiro Tanaka

亀田総合病院
脳神経外科部長

専門:脳神経外科・脳神経血管内治療

   

外に飛び出す勇気と3人の恩師に導かれ歩んできた脳神経血管内治療の道 Dr. 田中 美千裕

外に飛び出す勇気と3人の恩師に導かれ歩んできた脳神経血管内治療の道 Dr. 田中 美千裕

「脳神経外科も毎日が解剖だよ」
その言葉に導かれて

私を脳神経外科の道に導いてくださったのは山本勇夫先生です。山本先生は、初期研修を行った横浜市立大学附属病院の脳神経外科学で、当時教授を務めていました。私は、小学生の頃から生物の構造や進化に興味があり、医学部に入って解剖実習を行ったときも、人体の構造を学ぶ解剖学に興味をもちました。そんなこともあって、初期研修後は解剖学教室で学ぼうかとも考えていたんです。

その話を山本先生にしたところ、「脳神経外科も毎日が解剖だよ」と。その言葉に心が動いたのは、脳の解剖に興味があったからです。脳は構造が複雑で、未解明のことが多い。脊椎動物がほかの動物よりも優れているのは複雑な脳のおかげです。なかでもヒトには霊長類で最大の脳がある。山本先生の言葉をきっかけに、脳神経外科に入局することを決めました。

ヒトの顔や体が十人十色なのと同じで、脳もそれぞれ“顔つき”が違います。教科書の解剖図通りではないんです。たとえば血管の形や位置にもバリエーションがありますが、手術中に局所だけを見て、その血管が脳のどの部分に血液を供給しているかがわからなければいけません。そうでないと、その血管の血流を一時的に遮断してよいかを判断できないからです。つまり、脳の構造が頭に入っている必要があるわけですが、それを教えてくれるのが解剖学です。脳神経外科医として、これまで学んできた知識で何が一番役立っているかというと、間違いなく解剖学の知識なんです。

山本先生はアメリカで臨床経験を積まれ、微小解剖学で有名なフロリダ大学ロートン先生の下で研鑽を積まれた方です。山本先生の下で初期研修を行ううちに、匠の技術を磨くことも重要だけれども、それ以上に微小解剖学の知識と理解が大事だと実感しました。微小解剖学は、1980年代以降、脳神経外科の手術が顕微鏡下で実施されるようになった結果生まれた学問です。実際に顕微鏡で脳を観察すると、とても美しいと感じます。ナイフや車など、究極まで機能が追求されているものは美しいですよね。脳にも同じ美しさを感じるんです。

なぜ上手くいくのか? いかないのか?
常に考えることの大切さを教わった

研修を積むうち「自分は脳血管障害を専門にしたい」と。日本では脳卒中の患者さんが多いため、少しでも役に立ちたいと考えたんですね。それなら、専門医資格取得前に、脳血管障害の症例が多い大阪の国立循環器病研究センターでトレーニングを受けたいと考えるようになりました。

思い切って山本先生にお願いをしたら、二つ返事で「ぜひ行きなさい」と言ってくださったんです。さらに「医局員の中で、神奈川県外に出て他流試合に挑もうとする若い先生が少ない。もったいないと思っていた」と。実は、もしも山本先生からダメだと言われたら、医局を飛び出してフリーになる覚悟だったんです。でも実際には“脱藩”せずに済んだのは、山本先生と当時の関連病院の先生方が非常に寛容だったからです。

医師4年目、国立循環器病研究センターにレジデントとして入職した私を指導してくださったのは、当時、脳神経外科の部長をされていた橋本信夫先生でした。強く印象に残っているのは、オペ室やカンファレンスで、なぜ手術が上手くいくのか、また、なぜ上手くいかないのかを常に考えることの大切さを教わったことです。

ほかにも危機管理の本質を学びました。ある患者さんが、病棟のベッドからひとりで起き上がろうとしたときに転落、頭部を打撲して急性硬膜下血腫を併発してしまったんです。担当ナースは責任を感じて、ひどく落ち込んでいました。そんな状況で橋本先生は、担当医だけに任せず、責任者として患者さんのご家族に丁寧に説明をされたんです。そして事故が起きたことに対して誠心誠意、謝罪をした上で、「担当ナースは、患者さんの早期離床を促すために努力をしていました。その過程で起きた転落なので、どうかナースを責めないでください。スタッフ一丸となって患者さんの回復に全力を注ぎますので、どうかもう一度チャンスをいただけないでしょうか」と深く頭を下げられました。今でも、このシーンを鮮明に覚えています。橋本先生は脳神経外科医としてだけでなく、人として尊敬できる師匠だと実感した瞬間でした。

脳血管障害の治療は
カテーテルが主流になるはず!

国立循環器病研究センターでのレジデント2年目、京都で開催された国際学会で、内頚動脈血流遮断試験の結果について発表をしました。そのとき、「そもそも遮断する場所が間違っている」と厳しい指摘を受けたんですね。スイスのチューリッヒ大学、神経放射線外科教授のバラバニス(Anton Valavanis)先生からの指摘でした。発表終了後、「あのように指摘された根拠を教えてください」と逆に質問したところ、「毎年ワークショップをしているので、興味があるなら来なさい」とパンフレットをいただき、翌年、橋本先生にお願いしてワークショップに参加したんです。

学会で先生が指摘された理由もよくわかりましたし、ライブデモンストレーションも見て、日本の脳血管外科の手術とは雲泥の差があることに驚きました。カテーテルを扱う技術だけでなく、微小解剖の深い理解とそれを治療に応用する力の凄さ。まさに目から鱗で、留学するならアメリカよりもヨーロッパだと思いました。

国立循環器病研究センターでレジデントとして働いた後は、小田原にある横浜市立大学附属病院の関連病院で2年働き、附属病院に戻りました。その頃から、脳血管障害の治療はカテーテルが中心になると確信していましたね。当時は、国内の脳神経外科医の多くがカテーテル治療は海のものとも山のものともわからないと考えていた時代です。でも私は、仮に自分が治療を受けるなら開頭手術よりもカテーテル治療の方がいいし、きっと患者さんも同じだと思っていたんですね。それに、バラバニス先生のワークショップに参加して、ヨーロッパのカテーテル治療のレベルの高さも見ていましたから。

「ヨーロッパに留学したい」という気持ちが高まっていったのですが、スイスとフランスのどちらにするかで迷い、最終的に、チューリッヒ大学のバラバニス先生の下で学ぼうと決めたのは、当時の脳神経外科主任教授が元国立循環器病研究センター部長の米川泰弘先生だったことも大きかったです。ご縁があると感じたんですね。自分の決意を山本先生に伝えたところ、「新しい技術を学べるチャンスだからぜひ行きなさい」と快く送り出してくれました。

必ず解決策があるはずです。
一緒に病気と闘っていきましょう!

チューリッヒ大学で感銘を受けたのは、病気を理解し、治療のコンセプトを明確にした上で手術に臨む姿勢でした。その基礎になっているのが解剖学の知識です。この知識の有無で、患者さんの治療成績が大きく左右されることを学びました。当時のカテーテル治療の器材はプリミティブでしたし、X線画像装置の解像度も低く、細い血管は画像に写らない。そこにどんな血管があるのか、想像する力が必要だったんです。そのために不可欠なのが解剖学の知識です。

解剖学は、病巣や血管の位置を教えてくれる“地図”のようなもの。地図をもたない人が目的地に辿り着けないのと同じで、解剖学を理解していない医師は、患者さんに十分な治療を提供できないんです。学生時代から解剖に興味があった私は、それを学ぶことは苦になりませんでした。解剖を学べば学ぶほど患者さんに貢献できることを知って、この仕事が自分にとって天職だと確信するようになりました。

また、バラバニス先生からは、プロフェッショナリズムを教わった気がします。先生の治療を受けるため、世界中から患者さんが来るんです。患者さんにとって先生は最後の望み、先生から「NO」と言われたらほかに選択肢はないんですよ。先生が凄いのは、どんなに難しい症例でも「無理です」とは言わず、「必ず解決策があるはずです。一緒に病気と闘っていきましょう」と伝えるんです。それだけの技術があるし、手術環境や術前準備にかける努力も徹底していました。どんな困難な症例にも粘り強く果敢に挑戦し続ける姿勢に触れて、これこそが真のプロフェッショナルだと思いました。

そんな最高の環境で働けることもあって、実は、スイスへの永住も考えていたんです。それでも日本に戻ると決めたのは、亀田総合病院心臓外科の外山雅章先生と、現理事長の亀田隆明先生に誘っていただいたからでした。亀田先生が、脳血管内治療を国内で広めたいと本気で考えていらっしゃること、また外山先生の「海外で活躍している日本人医師を受け入れるのが亀田総合病院の使命です」という言葉に心をぐっと動かされて。最終的に、日本に戻ることを決意しました。

これまでの医師人生を振り返ってみると山本先生、橋本先生、バラバニス先生という3人の恩師に出会えたこと、さらに亀田先生と外山先生との出会いがあったからこそ、今の自分があるのだと思います。こうした出会いのチャンスに巡り会えたのは、私が思い切って外の世界に飛び出していったからです。若い先生方には、女優のイングリッド・バーグマンの「私の後悔することは、やらなかったことであり、できなかったことではない」という言葉を、ぜひ贈りたいと思います。

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Dr. 田中 美千裕

Dr. Michihiro Tanaka

1991年 山梨大学医学部卒業、横浜市立大学附属病院臨床研修、横浜市立大学附属病院脳神経外科入局、1994年 国立循環器病研究センター脳血管外科レジデント、1996年 小田原市立病院脳神経外科、1998年 スイス連邦チューリッヒ大学医学部脳血管内治療部臨床フェロー、1999年 同助手、2002年 チューリッヒ大学医学部講師、同脳血管内治療部主任、2004年 亀田総合病院脳血管内治療部長、2005年 同脳神経外科部長(現職)
日本脳神経外科学会専門医、日本脳神経血管内治療学会専門医・指導医、世界脳神経血管内治療学会理事

Dr. 田中 美千裕のWhytlinkプロフィール