2017.10.18 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 和足 孝之

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 和足 孝之

Dr. Takashi Watari

島根大学医学部附属病院
卒後臨床研修センター

専門:総合診療

   

ジェネラリストが必要とされる時代の臨床・教育・研究とは Dr. 和足 孝之

ジェネラリストが必要とされる時代の臨床・教育・研究とは Dr. 和足 孝之

メンターとの出会いで
道は開かれ、今がある

僕にとって、医者は天職だと確信しています。この世界ほど、勉強していて楽しい学問はない。さらに力を付けることで、誰かの役に立つ。こんな職業は他にないですよね。僕自身、医者になって10年が経ち、学ぶ意欲はますます盛んです。

ただし、この仕事は医者になる前に描いていたイメージとは全く異なりました。学生の頃は、治療だけをしていればいいと思っていましたから。でも実際は、患者さんがどこから来てどこへ帰って、これからどんな生活をしていくのか、そういうことまで考えるのが医療だと実感しています。

極端に言うと医学部では、「病気」は習っても「医療」は習わない。試験問題を解くための知識は覚えても、それを活用する手技や患者さんをどう診るか、患者さんにどう向き合うかまでは教えてもらえない。それをなんとかしなければいけない。

レジデント時代、「来た患者は必ず受ける」と自分に課して日夜研修に励んでいました。後期研修終了後はフィールドワークとして東京じゅうの病院をまわり、断らない当直をやり続けた時期もありました。高齢者、整形外科、アルコール、精神科、この4つのキーワードがひとつでも該当すると受け入れ先が大都会でさえ極端になくなる現実に直面した時、ジェネラリストを育てる側になるという強い決意が生まれたんです。

そんな僕が、今ある総合医療の道に進めたのは、3人のメンター達との出会いのおかげだと思っています。

医者への道を切り拓いてくれた、土屋禎三先生。

どういう医者になるべきか導いてくれた、徳田安春先生。

現在、僕のやりたいようにさせてくれている、鬼形和道先生。

この3人のメンターの期待に応えるため、一切の努力を惜しまず何でもやることができます。それぞれに語り尽くせないほどのエピソードがありますが、詳しくはまた今度(笑)。

総合診療医を目指すなら自分自身が独立したプロフェッショナルになるべきです。今は専門医療制度自体が揺れている過渡期です。まずは誰にどう評価されるかなど気にすることなく、「どんな医者にはなりたくないか」を考えてみることを勧めます。きっと自分の描く理想の医者像が見えてきますから。

コロコロと表情を変えながら語る率直な言葉にはパワーがあふれている。途中、図を書きながら説明を加える姿は、まさに先生

研修医時代に芽生えた
総合診療医への志し

大学の教員になろうと思って神戸大学大学院の土屋先生の研究室で筋生理学の研究していました。思いのほか研究が楽しかったので、研究者の道はいいなと考えていた時期に、「君は医師に向いているから医学科の学士編入を受けてみたらと」先生に強烈に背中を押してもらいました。お金に困っていた時期でしたので、受験費用を貸してくれるとまで暖かい言葉をくださった土屋先生には感謝しかありません。岡山大での学士時代は4年間で全ての科目を漏らさず習得できるように必死に勉強しました。自分で望んだ道だから、全然苦ではなく、仲間達とワイワイ勉強して、むしろ楽しかったです。

どんな研修病院を選ぶべきかは、人によって異なります。

課題の難易度と自分の能力のバランスがちょうど良い領域が最も学習効率が上がるとされていますが、ポテンシャルが高い人は、その領域より下、つまり簡単に感じるとつまらなくなってしまう。逆に難し過ぎると、ストレスと不安で伸びなくなる。

僕は、臨床能力を早く身に付けたかったため、当時、日本で一番忙しいといわれていた湘南鎌倉総合病院を研修先に決めました。自分で言うのも何ですがモチベーションが高い学生だったので、見学型のスタイルでは成長しないと分かっていましたから。湘南鎌倉総合病院での一年目、二年目は本当に成長したと思います。でも、もう二度とやるかっていうくらいもうきつかった(笑)。5年目にチーフレジデントになり、下の学年に教えながら全体のマネジメントをしていました。どうやったら熱心な研修医が集まるか、どうやったら彼らが嫌な思いをせず楽しく働けるか、どうやったら患者さんの安全を保てるか…。総合的に考える現場監督のような立場です。この時の経験が、今の僕をつくっていると思います。

その当時は、総合診療専門医というものは明確な規範がなく漠然としていました。しかし、救急の現場にいるとジェネラリストは絶対に必要だということがわかります。しかし、ジェネラリストになるためのレールはほとんどありません。

そんな不安を、ほとんど面識のなかった恩師徳田先生にいきなりメールで相談させていただいたんです。

逃げない医者を目指し、ERでの臨床に取り組む

日本の臨床教育を
どうにかしなければ

「私に相談に来た時点で実はあなたの腹は決まっています。大丈夫です。私みたいに臨床・教育・研究がバランス良くできる医者を目指してください」。徳田先生にいただいた言葉です。この瞬間が僕にとっての大きなターニングポイントになったのは間違いないですね。そして、徳田先生の勧めで東京城東病院へ行くことになり、たったひとりで総合内科の立ち上げ業務を開始しました。その後、軌道に乗ってきたタイミングで、かねてより決めていたタイへの留学を実行。よくカンファレンス時に、渡航歴からマラリアやデング熱を鑑別に挙げたかなどの意見をみかけますが、「そういう患者に出会ったこともなく、実体験のイルネススクリプトが無いのに、そんなんでいいのか」と感じ、実際に診てみたかったんです。

留学先にはもちろんマラリアの患者さんもいて…、日本ではなかなかできない臨床研究ができる素晴らしい環境でした。しかし一番強く生まれた感情は、悔しさ。オーストリアやイギリス、ドイツ、イタリア、ロシア、ミャンマー、バングラディシュなど世界各国から来ている留学生と話すと、いかに日本の医学教育が遅れているか痛感させられました。

ひとつは英語の問題。みんな教科書を英語の原書で読み、いとも簡単に世界最先端の知識を身に付けています。日本は情報がワンテンポ遅れている印象があります。さらに、日本では国家試験に受かるための勉強をしているから、研修医一年目では何もできない。それに比べて世界中の医師は、卒業前から患者を「診る」力をつけている。この差に愕然とし、悔しい気持ちでいっぱいになりました。

この時、「日本の臨床教育の遅れをなんとかしなければ」という意識が生まれ、それが今の僕のモチベーションというか、大きなエナジーにつながっています。

帰国後は、徳田先生からの強烈な勧め(笑)で、現在在籍する島根大学へ。初めての縁も所縁もない場所でしたが、今は、やりたかった臨床・教育・研究の3つをバランス良く行える環境を手に入れています。徳田先生は僕のことを全てわかった上で神がかったようにうまく導いてくれているんですよね…。

「学びはすべて患者さんに還元される」ことを全身全霊で伝える授業。大学1年生には高度に思える課題も工夫を凝らし全員で取り組む

現状を壊してもいい
独立したプロだからできること

「和足先生は医局の仕組みに囚われずに、大学全体・島根県全体・日本全体にとって良いことをしてください」。と言って僕の背中を押してくださる、センター長の鬼形先生のおかげで、Evidence Based Educationを試行錯誤しながら、つくり上げています。

そのひとつとして、正規の授業依頼はすべて受けて、講義や学生が学びたい意欲に応える為に課外活動も積極的に協力しています。また週一回は救命救急センターで、楽しく働かせていただいています。ER勤務日には学生に率先して診断のついていない患者さんのファーストタッチをさせて、指導医が安全な環境をつくりながら本来必要な経験を積ませる。指導医が診療をして医学生が見学しているだけとは学習効率が全く違います。

僕はやっぱり臨床をやりながら教育・研究もやりたいので。それ以外に週一回ずつ、雲南市立病院(地域医療の中核病院)で宿直と自分の外来もやらせていただいています。雲南市立病院には大変熱心な若手医師が集まっています。総合診療医は大学に属してない人が多いんですが、地域の病院で頑張っている先生こそ実は臨床研究をやりたいんですよね。

そこで臨床研究をやりたい先生たちを出身大学や卒年次や専門や派閥など一切無くしてインターネットでつなぎ、福原俊一先生に無理難題なお願いをしてオンラインで勉強できるシステムをつくりました。これは島根県の事業として助成をいただいて、京都大学の臨床研究オンライン講座で1年間学びながら島根の地域のデータで論文を出すプロジェクト(CRUSHプロジェクト)です。これは10月1日から県をあげて始まったばかりなので、きちんと続けていきたいですね。

自分の研究テーマとしては、診断エラー学(誤診学)というのをやっています。日本は今までいかに診断するかのカッコいい表側の診断学ばかりやってきたんです。初診の患者さんの8~15%位は、診断エラーの可能性がアメリカ等の統計でも指摘されているんですよね。仮にこれが数%でも減らせれば、無駄な検査や無駄な治療を減らし、高騰が止まらない日本の医療費を減らすことにもつながるのではないかと考えています。医療経済効果が半端ないのに、今までは誰も手をつけなかった。だからこそアンタッチャブルな裏の学問だった分野に僕は興味をもっており、科研の事業として研究を進めています。

今は、学びたければいくらでもインターネットで学べる時代です。先進国とか発展途上国とか一切関係なく、学びたい人が学ぶという地球規模での教育競争の時代に入っていると感じています。学ばないということは世界から日本は遅れていくことを示唆します。僕自身も島根で働きながらどうにか臨床研究の勉強ができないか?と思っていた時に、徳田安春先生からの勧めでハーバード大学医学部ICRT(臨床研究コースでオンラインと年2回の海外のワークショップ)で勉強しました。

臨床研究はとても深く広く、自分の満足できるレベルで指導できるようになるには、少なくともあと6年はかかリそうです。後続の為にも早くそのレベルに達しなければならないと思い、日々精進中です。

僕のこのモチベーションを維持しているのは、黒川清先生にいただいた言葉です。「いい教育とはいい教育を受けた人にしかできないんだ。だから君たちには権利と義務がある。だから頑張れ」。自分の進むべき道を照らしてくれた言葉を思い出すたびに、よみがえる熱い想いが、僕のすべての原動力になっているのです。

ある1日のスケジュール

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors InterviewsWhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews

Dr. 和足 孝之

Dr. Takashi Watari

2009年岡山大学医学部卒業(学士編入)、2009-14年湘南鎌倉総合病院 総合内科、2013年 湘南鎌倉総合病院 総合内科チーフレジデント、2014年 東京城東病院 総合内科 副チーフ、2015年マヒドン大学 臨床熱帯医学大学院、2017年ハーバード大学医学部ICRT修了、2016年より島根大学卒後臨床研修センター(現職)

Dr. 和足 孝之のWhytlinkプロフィール