選択する分野と医局の環境
どちらも考慮することが大切
泌尿器科を専門に選んだのは、自己完結型の領域だという点が大きかった。例えば消化器は内科と外科に分かれているのに、泌尿器科は手術療法や放射線療法、化学療法を含む薬物療法まで内包している。しかも、腎臓・尿管・膀胱などの後腹膜臓器から男性生殖器まで扱う。その上、学問に広がりがあるんです。泌尿器学の教科書として有名な『キャンベル』は、僕が学生の頃には2巻だったのに、卒業した頃には3巻に、卒後10年ほどすると4巻に増えていた。扱う病気が多い上に、それぞれの治療法の進歩が著しいんですね。その分、泌尿器科に進むとやるべきことが多いし、勉強も大変。でも、泌尿器科の先輩方は、非常に充実した表情をされていました。
医学部3年の頃、希望者は基礎研究実習ができるシステムがスタートし、僕もある教室に友人と顔を出していいことになったのですが、ちょうどその教室には、泌尿器科の先輩が研究のために来ていました。間近で先輩の姿を見ることができたのはよかったですね。なぜなら、医局の環境は人がつくるところが大である、と最近特に思うようになったからです。
医局に入ったばかりの若い先生の中には、「自分の選択は正しかったのか」と悩んでいる人も実は多いのではないかと推察します。大切なのは、その分野が自分に合っていないのか、それとも今の環境が合っていないのかを判断することでしょう。ある程度の期間働いてみて、環境が合っていないとわかったら、場所を変えるという選択肢もあると思います。
ただ、それぞれの分野を専門にして集まっている先生・先輩・同僚・後輩のキャラクターや価値観は似ているという傾向がある(と思っている)ので、勤務先を変えても環境が合わないと感じるかもしれない。なぜなら、結局そこでも、環境は人がつくることと関係しているからです。
最終的には、別な分野に進むことになるかもしれませんが、どの分野に進んだとしても、「医学は人のため」という最終目標は同じだと思いますので、前向きに頑張っていくことが大事。悩んだら相談できる友達も大切ですし、もしいなければ、僕にでも気軽に相談してください(笑)。
経験値を増やすには
常に考え、仲間と共有する
僕の時代は、卒業時に専門を決めるのが一般的。でも、防衛医大はスーパーローテーションシステムを採用していたので、卒業後に選択研修が行われていたんです。僕は、一刻も早く泌尿器科で学びたいと思っていたので、当時の泌尿器科の教授に「ほかの科を回る際、泌尿器科の医師を目指すものとして何を大事に研修すればいいでしょうか」と相談しました。教授のアドバイスは、「この後、君はずっと泌尿器科で働くのだから、選択研修はその分野を現場で学ぶ最後のチャンスになる。貴重な機会だから、とにかくその科のことを一生懸命学び、得たことを泌尿器科に還元すればいい」でした。
実際に選択研修を体験して、他分野の先生とつながりができたことは、とても役に立ちました。その分野のことで悩んだとき、相談しやすいですからね。逆に、一緒に仕事をした先生から、その後、相談をいただくこともあります。ほかにも放射線科で読影を担当したことや、救命救急センターで基本的な技術を身に付けたことは有益な研修でした。
仕事はチームで進めるので、若手は先輩の手が届かない部分をサポートする必要がある。今の若い先生も仕事に追われ、これでいいのか悩むでしょうが、少しでも早く成長するには、ちょっとした手技や小さな手術も大切にすることです。僕は先輩から手ほどきを受けて学ぶだけでなく、さまざまな本や論文を読んで、先輩や自分のやり方は正しかったのか、ほかにどういう方法があるのかを常に考えるようにしていました。
また、自分の経験を仲間と共有する。例えば「こういう場面でこんな手技が行われた」という情報は、その場にいないと入手できないので、病棟仲間で飲みに行ったときなどに積極的に情報交換していました。仲間と共有することで、経験値は増やせる。さらに、手術や薬剤の選択など「なぜその場面で、その先生はそうしたんだろうか?」と疑問に思うことも出てくる。根拠を調べてみると、実は明確な根拠がない場合がある。こういう発見は自分の研究テーマになるし、その研究がうまく進めば医学の進歩にも貢献できるんです。
自分のテーマを見つけるためにも
フットワークを軽くする
手術の技術を革新するような成果を出した先生が研究の世界もリードしている、それがどういう環境で行われているのか自分の目で見てみたいと思い、慶應義塾大学病院に移ることを決断しました。もちろん防衛医科大学病院にも両輪で成果を出し、尊敬できる先生はいらっしゃいましたが、慶應病院は、そういう先生の数が突出していたんですね。
新しい職場は、以前とは全く環境が違っていたので、最初はとまどいましたが、先生の指示でデータベースを構築したり、先輩や同僚の研究や実験のサポートをしているうちに、少しずつ医局のメンバーと仲間になれた。僕が実験をサポートできたのは、前の職場で医局に転がっていた実験器具で、できる範囲内の実験を続けていたからです。その場その場で、できることを一生懸命やってきたことが生きたのでしょうね。これは与えられた研修プログラムに取り組むのとは別。もちろんプログラムも大事ですが、それだけで成長できるわけじゃない。プログラムに乗らないところにも価値があるんだと思います。だからといって、無理にがんばる必要はない。僕が実験や研究を続けられたのは、それが自分にとって興味があるテーマで、疑問を解くプロセスが楽しかったからです。
研究に限らず、興味あるテーマを見つけることが大事。そのためにはフットワークが重要です。わからないことがあったら、答えを知っている、あるいは何かヒントをもらえそうだと思う人のところに行って教えを請うとよいでしょう。今も僕自身わからないことだらけで、それを実践していますし、共同研究のきっかけにもなるんです。
僕が医者になりたての頃、卒後20年ほどの先生が「俺の卒業時、20年後、がんは治せる病気になると言われていたのに、今もあまり変わってない。今から20年後はどうなっているんだろう」とぽつり…。それからもう20年近く経とうとしていますが、僕は今、その先生と同じような感覚をもっています。特に、転移がんの患者さんに関する治療成績は、ほとんど改善していないと感じます。転移がんの新たな治療法を探すこと。それが、当時から現在まで一貫した僕のテーマなんです。
「治せない」という悔しさを
研究を進めるエネルギーに変える
がんの転移が起こる理由を勉強するうちに、がんの転移に関連する因子(以降「関連因子」と略)がいくつもあることを知りました。この関連因子は、人の受精卵から器官が形成されるプロセスでも働いています。受精卵が分裂・分化してできた細胞の固まりは、関連因子の働きによって移動することで各器官が形成されるんです。通常、関連因子は大人になると発現しないのですが、何らかの理由で発現すると体内に発生したがん細胞も体内を移動する。これが転移です。
この現象が泌尿器科のがんでも起きているのかを調べるため、患者さんのデータ分析と実験を行ったところ、関連因子のひとつが転移に関係していることがわかりました。この結果から、転移がんの治療法を開発するには、発生学の勉強が必要だと考えるようになったんです。
ちょうどその頃、泌尿器科の教授になられた大家先生も、同じ考えでした。「せっかく慶應義塾大学に来たのだから大学院で勉強すればいい」と言ってくださったこともあり、2008年に大家教授の第1期生として大学院に入校しました。
当時は、オールジャパンでiPS細胞の研究を推進するという機運が高まっていた時期で、僕もiPS細胞の研究を担当することになったんです。しかし、なかなか良い結果が出ずに苦労しました。ただ研究の過程でiPS細胞の性質を学んだことは、とてもよかったと思います。
iPS細胞をつくるには、発生のプロセスを逆行させる必要があります。通常の場合、1個の受精卵が細胞分裂と分化によって各器官を構成する細胞になっていくのですが、これを巻き戻して、分化が完了した細胞から、受精卵のようにさまざまな細胞に分化する能力をもつiPS細胞をつくるわけです。そのために使われるのが山中因子で、これは遺伝子発現を制御する転写因子なんですね。
iPS細胞をつくる過程では、途中でドロップアウトする細胞も生じるのですが、これには、がん化するという性質があります。つまり転写因子の働きに何らかの問題があると、がん化の可能性があるだけでなく、転写因子は遺伝子発現を制御しているので、遺伝子発現プロファイル(遺伝子発現の状態)も変化するはずだとわかります。逆に、もし難治がん細胞の遺伝子発現プロファイルを変えることができたら、がんの性質も変化するのではないかと考えたのです。
泌尿器科の領域では、前立腺がんに使われる抗がん剤の耐性化(抗がん剤が効かなくなる現象)の克服が課題です。この耐性化したがん細胞の遺伝子発現プロファイルを、耐性化前のプロファイルに戻せないかと考え、学外の先生と協力して、プロファイルを元に戻す能力がある薬品を探索しました。いくつかの検証実験系を立ち上げると、耐性化したがん細胞のモデルを作成することができたんです。これを研究対象として遺伝子発現プロファイルを解析すると9種類の薬品が見つかり、実験の結果、そのうちのひとつである抗ウイルス薬リバビリンに、実際にプロファイルを耐性化から感受性へと巻き戻す力があることがわかりました。つまり、抗がん剤が効かなくなった難治性の前立腺がんを治療できる可能性が見えてきたわけです。
うまく行かないことのほうがほとんどのなかで、こうした成果が出たこともあって、僕の中には一定の達成感があったんですね。ところが、薬品の探索を協力してくださった先生から「この研究の本来の目的は、患者さんを救うことだったはず。臨床試験をしなければ意味がないと思います」と指摘されて…。ハッと目が覚めました。こんなところで満足している場合じゃないだろうと。
実はリバビリンは、すでに国内で承認され、C型肝炎の患者さんに投与されていた既存薬でした。「これなら、条件さえ整えれば臨床試験ができる」と思い、一刻も早く開始するため、数十の民間財団に研究費助成の申請をしたところ、なんとか数百万円の必要最低限の研究資金をかき集めることができました。また、学内の倫理委員会に臨床研究の申請をして、無事OKをいただくことができたんです。
臨床試験は5人の患者さんを対象に行い、そのうち2人に良い結果が出ました。なかでも股関節に骨転移が進行していた患者さんが、半年後には、なんと骨転移が消えて…。この結果に、みんながどよめきました。僕も大変驚いたんです。患者さんとそのご家族も大変喜ばれました。
その後、学会発表で評価をいただいただけでなく、遠方からも新たな、様々な患者さんをご紹介いただけるようになりました。そこで、薬事申請を目指し、もっと多くの患者さんに届けるため、半年ほど準備に時間をかけAMEDの医師主導治験の研究助成公募に応募したところ、AMEDの支援対象課題(シーズC)に採択され、約1年の準備期間を経て、第Ⅰ相の医師主導治験を施行することができました。
基礎・臨床を問わず、何か研究を行う際、枕詞のように「この研究は、今後患者さんのために役立つ」というフレーズが使われます。しかしほとんどの場合、研究だけで終わり、患者さんへのフィードバックはほとんどないのが現況ではないでしょうか?「患者さんのために」を枕詞にしないためには、なんとしても臨床試験を実施しなければいけないんです。実際に医師主導治験を開始・結実させるまでのプロセスは、ものすごく大変でした。臨床研究で新たな治療法を発見したことは、実は始まりに過ぎなかったんですね。リバビリンが、前立腺がんの患者さんに実臨床で投与できるように薬事承認されるためには、これからも段階を踏んだ臨床試験を積み重ねていかなくてはならないのです。
特に転移がんは、根治をもたらすことが難しいのが現実です。僕たち医師は、その現実を見つめ、患者さんにも伝えなければいけない。でも、ただ伝えるだけではなくて、「治せない」という悔しさを、僕たちの研究のエネルギーにして難治性がんを少しでも治せるがんに変えていきたい、と考えています。
Dr. 小坂 威雄
Dr. Takeo Kosaka
2000年 防衛医科大学校研修医(泌尿器科)、2002年 防衛省陸上自衛隊第12後方支援隊衛生隊医官 国立療養所村山病院通修医(泌尿器科) 防衛医科大学校泌尿器科・病理学通修医、2004年 防衛医科大学校専修医(泌尿器科)、2006年 慶應義塾大学医学部助教(泌尿器科学)、2007年 稲城市立病院泌尿器科医員、2008年 慶應義塾大学大学院医学研究科 外科系泌尿器専攻入校、2012年 慶應義塾大学大学院医学研究科 外科系泌尿器専攻卒業、同年 慶應義塾大学医学部助教(泌尿器科学)、2015年慶應義塾大学医学部専任講師(泌尿器科学)
日本泌尿器科学会専門医・指導医、日本がん治療学会認定医・暫定教育医
Dr. 小坂 威雄のWhytlinkプロフィール
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