2018.02.14 公開

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医 Dr. 矢野 晴美

WhytRunner(ホワイトランナー) Specialist Doctors Interviews 輝き続ける専門医

Dr. 矢野 晴美

Dr. Harumi Gomi

筑波大学医学医療系教授
筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター 水戸協同病院グローバルヘルスセンター感染症科

専門:臨床感染症学・医学教育学・公衆衛生学

   

感染症科を確立し世界最高の教育環境を実現・提供したい Dr. 矢野 晴美

感染症科を確立し世界最高の教育環境を実現・提供したい Dr. 矢野 晴美

高まる海外からの輸入感染症の
リスクと感染症の専門医不足

私は2014年から当院に着任し、グローバルヘルスセンター感染症科を立ち上げ、診療と教育を中心に従事しています。

感染症とは、ウィルスや細菌などの微生物が体内に侵入して、臓器に様々な症状を発症させる病気のことです。身近なところではインフルエンザや高齢者の結核。海外に目を向ければジカ熱、エボラ出血熱など様々な感染症があります。

当院では、総合内科(総合診療科)を中心に、専門内科として感染症科が確立され、科の特徴としては、あらゆる臓器のあらゆる微生物に対応する臓器横断的な診療体制で活動している点が挙げられます。感染症は複数の臓器に発症することが多く、ひとつの臓器を診ただけでは判断できないので、複数の臓器にわたり診察する必要があります。ところが、それができる医師はなかなかいません。日本では明治維新以降、医局講座制を軸にした縦割診療体制と教育のため、自分の専門臓器以外は詳しくはわからないということになるわけです。そういう点で、当院のような臓器横断的な感染症科の専門診療の診療体制は、まだ少ないのが現状です。

一方、グローバル化の進展に伴う海外からの感染症の侵入リスクは高まっています。それに対応すべく、一般感染症(市中感染、医療関連感染)、HIV/AIDS、結核、熱帯医学(マラリア、デング熱、腸チフスなど)、渡航外来(トラベルクリニック)など包括的な対応を目指す「グローバルヘルスセンター」を掲げていることも当院の特徴といえるでしょう。

問題は、世界に比べて日本に感染症専門医が少ないことです。人口約3億人の米国には専門医が約8,000名。しかし日本感染症学会が認定する専門医は1,352名(2017年12月現在)にすぎません。1960年代のアメリカで、250床以上に1名の専門医を配置するのが望ましいといわれるようになりましたが、日本はその水準には届いていません。私は海外で感染症についての学びと実践を経験し、2005年に帰国しました。当時に比べれば感染症科の専門診療を提供する病院は増えてきましたが、まだまだクリアすべき課題は多いと考えます。

学生時代の留学経験が
キャリアの原点に

私は岡山県出身。医師の家庭に生まれたわけではありません。幼稚園の頃、テレビの手術シーンを観て医師に興味をもったことはおぼろげながら記憶しています。

そんな私がハッキリと医師を目指すことになったキッカケは16歳の時。母親の勧めで参加したビジネスセミナーで、当時、関西医科大学2年生だった石崎優子先生(現在、同総合医療センター小児科教授)と出会ったことでした。4つしか歳の離れていない女性が医学部に進んでいると知り、私も医師を志す決心がついたんです。

医学部での勉強は面白く、なかでも元々、人の生命や身体の動きなどに興味があった私にとって解剖学の授業は身震いするほど楽しかったことを覚えています(笑)。

一方、小学校高学年の頃からラジオの英語講座を毎日聴くほど英語が大好きでした。それが高じて、大学2年生の夏休みには米国ダートマス大学、3年生の時は英国オックスフォードで数週間過ごし、英語を学びました。

当時から、いつか海外でも医学教育を受けたいという希望はありましたが、留学を強く意識するようになったのは、英国でのイタリア人女性との出会いがキッカケです。彼女は仏語・独語・英語などを自由に操るマルチリンガルで、その姿は衝撃的。おおいに刺激を受けました。

大学卒業後の1993年、インターンの場に沖縄米海軍病院を選んだのも、米国で研修を受けるために必要なUSMLE(ECFMG資格で米国臨床研修資格試験)の勉強に適していたからです。また、私が学生の頃は、日本の病院では、女性は結婚や子育てと両立しやすい眼科や皮膚科など局所臓器の診療科に行くという雰囲気がありました。しかし私は全身を診たかった。だから米軍病院を選んだ、というわけです。内科を選んだのは、全身を診られる上に渡米にも有利といわれていたから。1年間学んだ後は岡山赤十字病院で内科医研修を受け、この間にUSMLEを受験しECFMG資格を取得しました。

米国病院に在籍時、資格の勉強に使っていたテキストなど。今でも学生に薦めている書籍も

海外で活躍したかったから、
ニーズが高い感染症の専門医に

1995年からは東京海上日動の「N program(アメリカ臨床医学留学プログラム)」を通じて、NYのBeth Israel Medical Centerに勤務。1998年から2000年にかけては、University of Texas-Houston Medical Schoolの感染症科のフェローとしてキャリアを展開しました。

世界につながる仕事がしたかったので国際保健・国際医療協力の分野、特に途上国などでニーズが高いという理由で感染症科を選びました。その後、ビザの関係で一時帰国し、日医総研で医療政策に関わる機会をいただきました。

2003年からは再び米国へ。それまでは個人に対する医療について学んでいましたが、感染症の研究には、集団の健康について分析・考察する「パブリックヘルス」を欠かすことができません。そこで、米国のJohns Hopkins University Bloomberg School of Public Healthで院生として集中的に学ぶことにしたんです。卒業後は米国の南イリノイ大学医学部感染症科のアシスタントプロフェッサーに。アメリカでバリバリやるつもりでしたが、2年後には帰国して自治医科大学に着任。これは医師になってからの最大の転機でした。

当時はちょうど都内病院で起きたセラチア菌のアウトブレイクが大々的に報じられていた頃で…。面識のあった自治医科大学の先生から「感染症科を一般病院のみならず大学病院にもつくらないといけない時代になってきた。日本で尽力してくれないか」とお声がけいただいたのです。

かなり悩みましたが、米国でいち外国人として働くより、私にしかできない日本人のバックグラウンドを活かした仕事をしたい、少しでも日本の教育環境を良くし、感染症科という専門診療を日本で確立したいという結論に至りました。

その後は現在の病院に。様々な希望を叶えていただき、実現したいと思う診療スタイルや教育体制など、理想とする環境に近付くことができています。

感染症をとりまく環境整備が
私のミッション

高校時代の石崎先生、大学時代のイタリア人の友人など、いくつもの出会いが私をここまで導いてくれました。とりわけ、日本へ帰る大きな決断を後押ししてくださったのは、Johns Hopkins University Bloomberg School of Public Healthの大学院で、ネパールの栄養状況を改善して死亡率を下げる研究をされていたDr.West先生です。

「Follow your passion, and make your own niche.(情熱に従いなさい!そして自分にしかできない分野を開拓しなさい)」というお言葉をいただき、改めて私自身のミッションを考え、「日本の感染症科をつくること」「日本の学生・研修医に世界最高の教育環境を実現し、提供すること」という目標に辿り着けました。

また2010年からオランダのマストリヒト大学医療者教育学大学院にも所属していますが、そこでメンターになってくださった英国人の先生からいただいた「Life is short.  Listen to your heart.(人生は短い、自分の心に耳を傾けなさい)」「Stay healthy, and be happy.(健康で、幸せに)」という言葉も印象的です。短いフレーズですが、長年の経験があるからこそのアドバイスなんですよね。

これらはいろいろな場面で思い出し、また、周囲の若い先生たちにも伝えている大切な言葉ばかりです。

感染症をとりまく日本の環境は良くなってはきましたが、課題はたくさんあります。とくに教育については課題が満載です。日本の医学教育はまだまだ座学が中心で実践が不足しています。諸外国に遜色のない、ベッドサイドかつシームレスな教育環境が求められるのです。

また、医師は臨床前教育、臨床教育、卒後教育、研修医などの専門教育に加え生涯教育として一生涯教育を自分で続けなければなりません。勉強から就職、引退というステップの時代は終わりを告げたのです。世界の医学部教育の中心は「勉強を自分で続けられる学習スキルの習得」にシフトしており、コンテンツを丸暗記して吐き出す単純記憶に終始する学習方法はいまや通用しません。今後は人工知能(AI)も出てきていますので、単純記憶部分はAIに任せればいいのです。

そもそも今日習ったことが明日にはひっくり返る可能性が常にあるのが医学の世界。医師に求められるのは、そういう知識ではなく、問題を発見・解決する力。私は正規のカリキュラムでも、カリキュラム外のセミナーでも、こういったスキルを伸ばす機会を提供していきたいと考えています。

バイリンガル教育はそのひとつ。英語で医学を学ぶ機会をつくったり、外国人の先生を定期的にお呼びして、研修医などの英語のプレゼンテーションをサポートしたりしています。ほかにも、感染症に関する勉強会など、実践的な取り組みも積極的に行っています。

若い方にお勧めするのは、短期間でもいいのでプロフェッショナルとして国外で経験を積んでおくということです。世界中のあらゆる人種、文化背景が異なる人と一緒に働くという経験はマインドセットの点でもプラスになります。

コミュニケーションという意味で英語は水や空気と同じ。医学に限らずあらゆる面で英語の情報がデフォルトです。欧米に限らずどこでもいいので、海外で出会う人たちの学ぶ姿勢、ディスカッションの質に触れておくことは重要です。他国の医師とディスカッションをしたり、情報交換をする機会が増えると、刺激を受けるだけではなく、広い視点を養うこともできます。

いまや国内そして世界では、質の高い情報にアクセスし、それを解釈して、患者さんに応用することが医師として根幹のスキルです。そのスキルを学生や研修医の方に実践を通して学んでいただきたいと思います。私も掲げた目標に到達すべく、国内外に通用するスキルを身に付けられる教育環境の整備にまい進する次第です。

ある1日のスケジュール

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Dr. 矢野 晴美

(旧姓:五味)

Dr. Harumi Gomi

1993年 岡山大学医学部卒業 、同年 沖縄米海軍病院インターン、岡山赤十字病院内科研修医、Beth Israel Medical Center, New York, NY内科レジデント、University of Texas-Houston Medical School, Houston, TX感染症科フェロー、London School of Hygiene and Tropical Medicine, 熱帯医学専門医養成コース修了(DTM&H)、日本医師会総合政策研究機構(日医総研)主任研究員、岡山大学大学院医学研究科衛生学教室博士課程卒業(DMSc)、Johns Hopkins University Bloomberg School of Public Health Master of Public Health 修士課程卒業(MPH)、南イリノイ大学医学部感染症科アシスタントプロフェッサー、2005年帰国、自治医科大学附属病院感染制御部講師、自治医科大学附属病院臨床感染症センター感染症科准教授、2012年 岡山大学客員教授、オランダ マストリヒト大学医療者教育学大学院修士課程卒業(MHPE)、2013年 同大学院医学教育Ph.D候補として在籍中(遠隔教育)、2014年 筑波大学医学医療系教授、筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター・水戸協同病院グローバルヘルスセンター感染症科

Dr. 矢野 晴美のWhytlinkプロフィール