「海外の研究者に一泡吹かせたい」
熱気の外側で研究を続ける毎日
医師を目指すきっかけは、柳田邦男の『ガン回廊の朝』を読んだことでした。オールジャパンで国立がんセンターを立ち上げるプロセスを描いたノンフィクションで、がん制圧にはロマンがあると思ったんです。
実際に医学部に入ってからは、所属していたサッカー部部長の斉藤和久先生が微生物免疫の教授だったこともあって、免疫学を熱心に勉強するようになりました。利根川進先生がノーベル生理学・医学賞を受賞されたのが6年の時。その記念講演が本当に素晴らしい内容で、免疫の世界に魅せられてしまいました。さらにポリクリでは、当時アシスタントをされていた渡辺守先生から「免疫を学ぶなら消化器内科がいい。免疫難病の炎症性腸疾患の臨床や研究ができる」とアドバイスをいただき、それで消化器内科の道に進むことを決めたというわけです。腸の免疫難病にフォーカスするというキャリアパスをイメージしたんですね。
卒業後すぐに大学院に進みましたが、消化器内科は患者さんが多いこともあって非常に忙しかったです。自由に使える時間は朝の6時から8時まで。その間に論文を読み、研究の進め方などを考える毎日でした。当時は大腸内視鏡が販売されたばかりで操作法をマスターするために、みんなで切磋琢磨していたことを懐かしく思い出します。また、ちょうど炎症性腸疾患の研究がスタートした頃で「海外の研究者に一泡吹かせてやるぞ!」という気概に満ちあふれていましたよ。
ところが大学院に入った私に与えられた研究テーマは「胸腺」。獲得免疫を司るリンパ球のひとつであるT細胞が成熟する臓器として、当時、胸腺がクローズアップされていたんです。「胸腺と炎症性腸疾患の関係を調査する」というテーマで、消化器内科とは離れた研究を始めたわけです。その後、留学先のハーバード大学では思いがけずエイズの研究を命じられ、またもや消化器内科とは離れたテーマに。さらに大学に戻ってからは、大腸がんの臨床と研究に携わることになり、なかなか炎症性腸疾患の研究に近付けなかったんです。
生涯にわたる研究テーマとの
出会いを大切にしたい
腸の免疫難病の臨床や研究のために消化器内科を選んだのに、直接関係がない研究ばかりで、正直モチベーションを失いかけた時期もありました。でも改めて振り返ってみると、当時は遠回りに思えた道のりが、逆に近道だったんですね。
ハーバードで私が参加した研究の目的は、SIV(サル免疫不全ウイルス)を使ったモデルによるワクチン開発で、私の担当は、製薬企業などがつくったワクチンによって免疫が成立するのかを確認することでした。私たちの体には免疫記憶というシステムがあって、たとえば麻疹にかかると、その後再び感染した時、このシステムが発動して早期にウイルスが排除されるので麻疹が発症しません。研究に参加したことで、免疫記憶についてもう一度勉強をしました。また、研究のリーダーを務めていたウイルスの大家であるノーマン・レトビン教授とも、どうすれば免疫がよく記憶されるのかについてディスカッションをしました。そのうちに、ワクチンは免疫記憶が成立すればするほど効果が高くなるので私たちにとってメリットがありますが、炎症性腸疾患は、全く逆だと気付いたんです。
炎症性腸疾患の潰瘍性大腸炎やクローン病も完治が難しく、基本的には生涯にわたって治療が続く病気です。「なぜだろう?」と考えるうちに、病気の原因となる免疫反応が免疫系に記憶され、終生体内に潜んでいるのではないか、だから再燃と寛解を繰り返すのではないか、と思いつきました。この「なぜ炎症性腸疾患は永続的に症状が続くのか?」という問いは、今でも私の研究のメインテーマです。
ある疾患の本質を深く学ぶためには、ほかの疾患の臨床や研究をすることが大事だと思います。そして本質を深く学ぶことが、研究を進める力になるんですね。免疫学や感染症の世界では免疫記憶は当たり前の概念ですが、それを炎症性腸疾患という免疫難病に導入したことで新たな切り口の研究が可能になり、一定の評価をいただくことができたのだと思っています。
新天地での経験は
自分自身に対するショック療法
実は、ハーバードでの留学が終わりに近付いた頃、日本に戻ったら関連病院で患者さんとじっくり向き合いながら臨床をしたいと考えていました。ハーバードには、スーパーマンのような研究者がたくさんいるんです。研究者として能力の限界を感じてしまったんですね。そのことを当時の上司だった日比紀文先生に伝えたら、「気持ちはわかった。ただ、海外留学で学んだことをほかの先生たちに還元するためにも、1年でいいから大学病院で働いてほしい」とおっしゃられて。確かにその通りだと思って、大学に戻りました。その後、ありがたいことに様々なプロジェクトから声をかけていただき、次第に研究の面白さを感じるようになりました。
転機が訪れたのは医師12年目のことです。私に消化器内科を薦めてくれた渡辺先生が、東京医科歯科大学に教授として赴任することになり、先生から誘われて一緒に移ることを決意したんです。医科歯科大学では、炎症性腸疾患と免疫記憶の関係について研究しました。ただ、今までとは文化も違うし、流儀も違うので、大変なことも多かったですね。一方で新たな視点で医療をみることができ、勉強になったと思います。なんと言っても、素晴らしい先生方からたくさんのことを学びました。医学教育の田中雄二郎先生とは一緒に仕事をさせていただき、医学教育について学ぶため、再度ハーバード大学に短期留学をさせていただきました。また肝臓がご専門の榎本信幸先生(現山梨大学教授)や坂本直哉先生(現北海道大学教授)は、後輩の私が言うのもなんですが、よきライバルとして切磋琢磨させていただいたと思っています。
医科歯科大学には8年間在籍しましたが、自分へのショック療法だった気がします。新しい環境でひとりになると、何かやらないとダメなんですよ。慶應大学にいれば、大きな流れの中でじっくり研究に取り組むことができますが、新たな職場で大学院生と一緒に研究をするのはある意味冒険だし、責任もある。「自分から動かないと研究は進まない」と実感しました。
腸内細菌は、
「家来」のような存在ではない!
「自ら動かないと進まない」という思いから、今から考えると、ずいぶんやんちゃなことをしましたね(笑)。生意気にも日本中の基礎研究で有名な先生の研究室に電話を入れて、「共同研究をさせていただけないでしょうか?」とお願いしました。
たとえば順天堂大学の八木田秀雄先生からは、当時は非常に高価だったモノクローナル抗体を湯水のように提供していただき、炎症性腸疾患のメカニズムを分子レベルで明らかにすることができました。その成果が、潰瘍性大腸炎やクローン病を抗体で治す抗体医薬開発の基礎になったと思っています。ほかにも、医科歯科大学では思いもかけずたくさんの論文を書くことができました。これは、多くの先生方の協力があったからです。
その後、慶應大学に戻り、腸内細菌の研究に着手しました。俗に善玉菌と呼ばれる腸内細菌が、免疫系から「自己」と判断されるメカニズムを解明すれば、悪玉菌が優位になって発症する病気の治療に活かせると考えました。その後、「腸内細菌を自己と非自己に区別する免疫機構がある」という仮説を実証するための研究を続けています。研究対象は新しくなりましたが、免疫を意識している点では共通しているんです。
2013年、便移植がクロストリジウム・ディフィシル感染症に大きな効果を発揮したという論文が『The New England Journal of Medicine』に掲載され、腸内細菌が難病治療に効果があるという事実に、医学界は大きな衝撃を受けました。
腸内細菌には「家来」のような印象があって、「消化を助けてくれるなら、食べたものの一部を分けてあげよう」と考えている方も多いのではないでしょうか。しかし実際には、すべての腸内細菌の遺伝情報を合わせると、ヒトの遺伝子の100~1,000倍もあることがわかっています。もしかすると、第2のインスリンのような物質をつくり出す遺伝子が見つかるかもしれません。現在、消化器疾患だけでなく、循環器・肝臓・糖尿病・アレルギー・自閉症などの疾患で、疾患と腸内細菌の関係が世界中で研究されていて、最もホットな分野になっています。
2013年の論文を受けて、私たちは日本で初めて潰瘍性大腸炎の患者さんへの便移植を行いましたが、一度移植しただけで腸内の菌が完全に置き換わるわけではないことがわかっています。その理由を解明するには、腸内細菌がどのように共生しているのかを、分子レベルで解明することが大事ではないかと…。現在AMED-CRESTの研究費用で、ホストとマイクロ微生物の相互作用を分子レベルで探る研究を行っているところです。
また、栄養学の先生とのコラボレーションも大切だと考えています。私たちが摂る栄養は、腸内細菌のエサにもなる。有益な細菌を腸内に定住させるには、どんな栄養が必要かを考える必要があるんです。そのためにも今後、分子栄養学の観点が重要になるでしょう。
これらの研究を通して、疾患と腸内細菌の関係、そして腸内細菌が定住するメカニズムが解明されれば、潰瘍性大腸炎をはじめとした数多くの疾患に対して、不足している機能を補うプロバイオティクスを開発できるかもしれない。そうすれば、なにも便を使う必要はないわけです。
ぜひ、世界中の研究者に一泡吹かせるような研究をしたいですね。それが僕の夢です。そのためには、臨床家としてのカンが武器になると思っています。2016年には、IBD(炎症性腸疾患)センターのセンター長を拝命しました。これからも臨床現場で患者さんと向き合いながら、そこで得られた問題意識を基礎研究に活かしていきたいですね。
Dr. 金井 隆典
Dr. Takanori Kanai
1988年 慶應義塾大学医学部卒業、1992年 慶應義塾大学医学部内科学助手、同年 清水市立総合病院内科医員、1995年 清水市立総合病院内科医長、同年 ハーバード大学Beth Israel Medical Centerリサーチフェロー、1997年 慶應がんセンター内科助手、2000年 東京医科歯科大学医学部附属病院第一内科学助手、2001年 東京医科歯科大学医学部附属病院消化器内科学助手、2004年 東京医科歯科大学医学部附属病院消化器内科学講師、2008年 慶應義塾大学医学部消化器内科准教授、同年 東京医科歯科大学医学部臨床教授、2013年 慶應義塾大学医学部消化器内科教授(現職)、同年 慶應義塾大学免疫統括医療センターセンター長(兼任)、2014年 AMED(難治性疾患実用化研究事業:OCHプロジェクト)統括班長、2016年 慶應義塾大学病院IBD(炎症性腸疾患)センターセンター長(兼任)
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